路地と密集住宅街で成り立つ、この地は関東大震災や東京大空襲等、何度となく災いに合うが、その度、復興してきた。街の形状は、昔と変わらず、すべての道と路地は、東西南北に走り昔の面影を残している。最近ではマンション等が、工場跡地などに建ち始め、古い路地、お寺や墓石との対照的な風景を描いていて、そんな街を歴史好きや食べもの好きが訪れている。 |
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1.深川地区の路地の特長 |
この地の路地の特長は、必ず東西か南北の方向を向く、直線である、高低差がほとんどないことが上げられる。これらの特長は、江戸初期からの埋立地であり、東西に小名木川、堅川、南北に大横川、横十間川の開削、東西・南北に直線で造られた通りが遠因である。
江戸時代の開拓・開発の地が大火や震災・戦災をくぐり抜け現在に引き継がれた。国道・都道などは碁盤の目に整備され、その升目の中に商店街・飲屋街や密集住宅街を形成、下町特有の植木が並び縁台が置かれた無数の魅惑的な路地を出現させている。 |
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2.深川の食文化と匠の技 |
漁師のぶっかけ飯から発達した深川丼は、深川を代表する“食”となり、森下の「みや古」、門前仲町に「深川宿」「六衛門」などがある。門前仲町には、和菓子や団子で知られる元祖「伊勢屋」が、永代通り沿いや辰巳新道の路地には、飲食店が軒を並べている。深川不動尊の赤鳥居の前にある「魚三本店」は、その代表格である。森下には、桜鍋の「みの家」煮込みの「山利喜」どぜう鍋の「伊せき」元祖カレーパンの「カトレア」がある。
食とともに受け継がれたのが、職人の匠の技である。木彫刻、結桶、切子、組紐、江戸更紗等の江戸から伝わる伝統工芸、ものづくり数々である。
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昭和レトロの商店街 |
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3.深川浪漫散歩 |
深川の象徴が「富岡八幡宮」と「深川不動尊」、八幡宮の縁日は、毎月1日、15日、28日に、昭和の初めには「森下神明宮」と結んだ「深川七福神めぐり」が始まった。八幡宮の境内には、伊能忠敬の測量の旅立ちの像がある。
そこから門前仲町の交差点へ、二つ目通りを北上すると「深川東京モダン館」「深川閻魔法乗院」、映画監督「小津安二郎の住居跡」「清澄庭園内 涼亭」「旧東京市復興店舗兼住宅」、かかし祭りがおこなわれる資料館通り白河の霊巌寺には「松平定信」の墓、その奥に「深川江戸資料館」が、小名木川を渡ると萬年橋の袂には「芭蕉庵」跡と「芭蕉記念館」、アーケードのある「のらくロード商店街」の奥には田河水泡「のらくろ館」、朝顔市の行われる「深川神明宮」があり、ここで深川双六は終わる。 |
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東京深川の路地(1)へ |
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深川の項おわり |
次回は長野門前の小路です。 |
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