大久保の路地に緑と園芸を発見する会
◆趣旨
大久保地区は、今は新宿の後背地としてのベッドタウンであり、関連産業の街として有名ですが、遡ると、様々な顔が見えてきます。江戸初期に御家人の屋敷町として開かれましたが、各屋敷には少ない扶持を補う意味で、1反程度の細長い畑地が付けられていました。この畑では後につつじが栽培され、明治中期までは「大久保の躑躅」として江戸の観光名所となっていました。紆余曲折はありましたが、このつつじ畑に突っ込み道路をつけて宅地化し、借家をたてたのが、今の市街地の形を決めました。この街の基本形をそのままに、今は、多様な都市機能が立地し、独特の活力を持って輝いています。
大久保地区の土地利用のベースは住宅地です。今でも、庭を構え、盛大に庭木を繁らせている屋敷がありますが、その隣は連れ込み宿、さらに隣は小型マンション、そしてその1階は韓国みやげ物屋と言った風の街です。タイ料理、ベトナム料理、スリランカ料理、イタリア料理、ネパール料理、世界中のどんな料理でも食べられますが、韓国料理屋が圧倒的に多いようです。これらを南北に長い路地が連結しています。
住む人と働く人、日本人と外国人が混在して街を活かしているわけですが、そういう街で、緑がどう生かされているか、これを観察することにより、路地の街と緑と園芸の結びつき、あるいはあり方についてのヒントを得ようとするものです。
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