墨田区の路地は向島に集中 |
墨田区は、昭和22年、旧本所(ほんじょ)区と旧向島(むこうじま)区とが合併して誕生した。この本所地区と向島地区は、歴史的、文化的にかなり大きな違いがある。
江戸期にあっての本所は、武家の町、そして両国かいわいに広がる庶民の娯楽のまちであった。 しかるに、向島は、農村地帯であった。
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手のひらツリー |
本稿の主題である「路地」について見るなら、旧本所地区には‘路地がない’とさえいえるであろう。もちろん少しはある。大名の下屋敷や旗本の住まいのために、条里制すなわち碁盤の目状の町割りが、江戸の初期から本格的な都市計画として本所全域に敷かれていた。この時できた道は道幅が広いため、今日では、そのほとんどが歩道を持つ。
しかし、向島地区で‘歩道のある道’は少ない。
路地の定義は、地域によってあるいは語る人によって若干の差異があるが、旧向島地区は、農村時代の農道、農業用水路などが曲がりくねっていた痕跡を如実に示し、はては行き止まりとなり、不自然に湾曲し、防災的見地からは常に最危険地区との烙印を押されてしまう。 だが、この狭除な生活道路こそが‘路地’であり、自動車が通らないのをいいことに、自転車、洗濯機、エアコンの室外機等が、我がもの顔にここを占拠するという、したたかな光景を呈する。 |
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高級感ただよう路地園芸 |
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全国どこでも、路地と言われる場所の象徴は、ネコと植木鉢。いささか食傷気味の下町情緒再発見手法である。 向島地区ではここ数年、町の外から来たアーティストさん達による芸術展が盛んである。多くの絵画、写真、彫刻に混じって2回ほど‘路地園芸コンクール’などが開催された。
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庭のない、いわば貧しい(?)住居形態から生まれた、道端不法占拠物である植木鉢も、ここまでくると美術、芸術の一つに見えてくるから不思議である。 墨田区は、緑地の少ない土地柄である。有名な隅田公園も錦糸公園も、旧本所地区にあり、向島地区は、この点でも本所に遅れをとっている。やや古いデータだが、10年ほど前に行われた千葉大学の都市研究調査によれば、向島地区の緑被(りょくひ)率は7%であった。しかし、軒先の植栽などを含めた緑視(りょくし)率は37%とのことでもあった。コンクールなどの影響を勘案すれば、今日ではこの数字は更に大きくなったのではあるまいか。いたる所で緑に出会う。なお、向島の古老には、緑被も緑視も同じ発音である。 |
うっそうたる路地園芸 |
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路地と自転車、車椅子 |
先月までのこの欄は、‘神楽坂’(かぐらざか)の路地をテーマとしていた。しっとりとした情感に溢れる美しいたたずまいが紹介され、われわれ向島の住人の目には、羨ましくさえあった。
その情感のいくつかは、‘坂道’がかもしだしていたといえよう。
ところが、ここ向島には‘坂道’がない。東京湾(江戸湾)に積もった砂洲(さす)で出来た地面なので、まことに平ら(フラット)である。地名としては唯一地蔵坂があるが、近隣の住民咋誰も、ここを‘坂’道とは見ていないほど緩やかな傾斜でしかない。そして、向島地区の多くの道は、狭いがゆえにあまり自動車が通らない。だから、子どもたちの自転車遊びにはもってこいである。
後発のマンションは自転車置き場を持っが、一般家庭で自転車置き場を特設する人は少ない。すなわち前述のごとく、路地が当然のように駐輪場となってしまう。
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旧鳩の町通り |
もちろん主婦たちの買い物には、いわゆるママチャリが使われる。更に言うなら、障害をお持ちの方や高齢者が車椅子で移動するのにも、墨田区などの隅田川の東の町々は、極めて安全なまちである。
この方たちが介護者なしの単独で電動車椅子を使っても、家族はほとんど心配する必要など、ない。
向島5丁目から今戸1丁目にかけて、隅田川をまたぐ人と自転車専用の「さくら橋」がある。嫁さんが電動車椅子のお舅(しゅうと)さんに、浅草での買い物を頼む場面などは、他の地区ではまず見られない事象であろう。 |
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