roji roji roji 特選路地のまち roji roji roji
 
Vol.4 東京向島
路地のまち・向島(1)
阿部洋一(NPO法人向島学会理事)
スカイツリーと路地
 1年弱後である。そのスカイツリーの立地である押上(おしあげ)は、墨田区のほぼ中央に位置する。
 世界一の高さを誇るだけあって、区内のどこからでもスカイツリーを眺めることができる。3年間の工事期間中に、成長途中の姿をとどめるべく多くのアマチュアカメラマンが、周辺に陸続と現れた。
 このカメラマンさん方がたぶん最も好んだショットは、狭い路地を近景として、後ろにツリーを配するというアングルではなかろうか。さよう、近代建築技術の粋(すい)を集めたであろうスカイツリーと、庶民の生活臭がただよう‘路地’とのアンバランスやミスマッチが、彼ら彼女らの美的関心をかき立てていたといえる。

錦糸町方面からのすきまツリー

 北十間川に映る‘逆さツリー’、廃屋かと思わせる木造密集地域の古民家のあいだに垣間見える‘すきまツリー’、幼児の手に乗る‘手のひらツリー’などの、景観上の“新語”まで生み出し、スカイツリーは、墨田区民の生活の素朴な最新の様相を世に知らしめる媒体となっている。
墨田区の路地は向島に集中
 墨田区は、昭和22年、旧本所(ほんじょ)区と旧向島(むこうじま)区とが合併して誕生した。この本所地区と向島地区は、歴史的、文化的にかなり大きな違いがある。
 江戸期にあっての本所は、武家の町、そして両国かいわいに広がる庶民の娯楽のまちであった。
 しかるに、向島は、農村地帯であった。

手のひらツリー
 本稿の主題である「路地」について見るなら、旧本所地区には‘路地がない’とさえいえるであろう。もちろん少しはある。大名の下屋敷や旗本の住まいのために、条里制すなわち碁盤の目状の町割りが、江戸の初期から本格的な都市計画として本所全域に敷かれていた。この時できた道は道幅が広いため、今日では、そのほとんどが歩道を持つ。
 しかし、向島地区で‘歩道のある道’は少ない。
 路地の定義は、地域によってあるいは語る人によって若干の差異があるが、旧向島地区は、農村時代の農道、農業用水路などが曲がりくねっていた痕跡を如実に示し、はては行き止まりとなり、不自然に湾曲し、防災的見地からは常に最危険地区との烙印を押されてしまう。
 だが、この狭除な生活道路こそが‘路地’であり、自動車が通らないのをいいことに、自転車、洗濯機、エアコンの室外機等が、我がもの顔にここを占拠するという、したたかな光景を呈する。
高級感ただよう路地園芸
 全国どこでも、路地と言われる場所の象徴は、ネコと植木鉢。いささか食傷気味の下町情緒再発見手法である。
 向島地区ではここ数年、町の外から来たアーティストさん達による芸術展が盛んである。多くの絵画、写真、彫刻に混じって2回ほど‘路地園芸コンクール’などが開催された。
 庭のない、いわば貧しい(?)住居形態から生まれた、道端不法占拠物である植木鉢も、ここまでくると美術、芸術の一つに見えてくるから不思議である。
 墨田区は、緑地の少ない土地柄である。有名な隅田公園も錦糸公園も、旧本所地区にあり、向島地区は、この点でも本所に遅れをとっている。やや古いデータだが、10年ほど前に行われた千葉大学の都市研究調査によれば、向島地区の緑被(りょくひ)率は7%であった。しかし、軒先の植栽などを含めた緑視(りょくし)率は37%とのことでもあった。コンクールなどの影響を勘案すれば、今日ではこの数字は更に大きくなったのではあるまいか。いたる所で緑に出会う。なお、向島の古老には、緑被も緑視も同じ発音である。

うっそうたる路地園芸

路地と自転車、車椅子
 先月までのこの欄は、‘神楽坂’(かぐらざか)の路地をテーマとしていた。しっとりとした情感に溢れる美しいたたずまいが紹介され、われわれ向島の住人の目には、羨ましくさえあった。
 その情感のいくつかは、‘坂道’がかもしだしていたといえよう。
 ところが、ここ向島には‘坂道’がない。東京湾(江戸湾)に積もった砂洲(さす)で出来た地面なので、まことに平ら(フラット)である。地名としては唯一地蔵坂があるが、近隣の住民咋誰も、ここを‘坂’道とは見ていないほど緩やかな傾斜でしかない。そして、向島地区の多くの道は、狭いがゆえにあまり自動車が通らない。だから、子どもたちの自転車遊びにはもってこいである。
 後発のマンションは自転車置き場を持っが、一般家庭で自転車置き場を特設する人は少ない。すなわち前述のごとく、路地が当然のように駐輪場となってしまう。

旧鳩の町通り
 もちろん主婦たちの買い物には、いわゆるママチャリが使われる。更に言うなら、障害をお持ちの方や高齢者が車椅子で移動するのにも、墨田区などの隅田川の東の町々は、極めて安全なまちである。
 この方たちが介護者なしの単独で電動車椅子を使っても、家族はほとんど心配する必要など、ない。
 向島5丁目から今戸1丁目にかけて、隅田川をまたぐ人と自転車専用の「さくら橋」がある。嫁さんが電動車椅子のお舅(しゅうと)さんに、浅草での買い物を頼む場面などは、他の地区ではまず見られない事象であろう。

 
著者略歴

1941年、中国浙江省杭州市
1947年〜 向島在住
1968年〜 小・中学生を対象とした学習塾を経営

1969年〜 向島五丁目東町界 庶務等歴任(現在参与)
1986年〜 一寺言問を防災のまちにする会会員(現在理事)
2001年〜 NPO法人向島学会会員(現在理事)
2006年  墨田区まちづくり条例検討委員
2009年 墨田区協治(ガバナンス)条例検討委員
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