roji roji roji 特選路地のまち roji roji roji
 
Vol.4 東京向島
路地のまち・向島(2)
阿部洋一(NPO法人向島学会)
路地を尊ぶ 路地尊
 向島に「一言会」という‘防災まちづくりの会’がある。正しくは「一寺言問を防災のまちにする会」という。既に26年の歴史を持つ。
 この会の防災施設の一つに「路地尊」(ろじそん)がある。
 江戸の風俗画にある天水桶を覆う屋根を模した天蓋と掲示板がある。その手前に手押しポンプがある。水は井戸水ではない。奥の家の屋根に降った雨水を樋とパイプで地下水槽に導き、この手押しポンプでくみ上げることができる。地域の4つの町会に5基ある。むろん、火災や震災のための設備である。どれも、狭い路地の一角にある。‘路地尊’の路地とは、近隣のミニコミュニケーションを象徴した言葉である。路地の‘狭さを守る’のではなく、地域に江戸期以来連綿と続く、お母ちゃん達のあの井戸端会議に見られた“ミニミニ情報の共有を尊(たっと)ぼう”という意味である。

路地尊2号機

 昨今、各地で「路地」が見直され始めているが、その全ての活動におけるスローガンは、「路地を守ろう」と言っている。その路地守護活動は全て、この‘地域情報の共有’という意味あいである。災害時において、住民の安全や保健衛生や医療食料は、消防や警察、はては自衛隊によってのみ守られるのではない。むしろ、近隣の助け合いが必要不可欠である。
 先日の‘東日本大震災’の惨状とその後の人々の活動を見るとき、近隣の互助を風習として持っている地域の人々のパワーがより優れている例など、枚挙にいとまがない。
京島には元気な商店街
 向島地区の路地尊に倣って、北部の京島地区(きょうじま)には「一休さん」がある。仕組みは路地尊と同じだが、周囲に設置されたポケットパークが、向島のものよりやや大きいという点が特徴である。
 この京島には小ぎれいな商店街がある。マスコミにもしばしば登場する「キラキラ橘(たちばな)商店会」と言う。ご覧のとおり、かなり狭隘な道を挟んで80店舗ほどが並んでいる。残念ながらシャッターが閉まったままの店もある。

キラキラ橘商店街の朝
‘1店1品’のスローガンの下に、お勧め商品の開発が展開されている。役員さん方の若干の厳しい審査を経て、‘キラキラ’の名を付ける特権が与えられる。
 多くの商店街は、いわゆる‘路地’を立地としている。買い物時間の歩行者天国(ホコテン)化、周囲の清掃、道路使用のルール作り、お休み処作りなど、数々の知恵の発揮が、買い物客の信頼やお買い得感を生み出している。
 路地の商店会は、健気な(?)努力を続ける。それが、顧客との連帯感を生んでいる。
 
謎の五叉路
 向島五丁目に‘謎の五叉路(ごさろ)’がある。六叉路なら、それなりに幾何学的な合理性を持つが、五叉は謎である。むろんどの角(かど)も90度にはなっていない。農道やどぶ川の埋め立てを進める段階で、ここからあっちの道がつながればちょっと便利だ、などの理由で、無造作に細い道を付け、それなりの便利さで定着したものと思われる。今は誰もその名を口にしないが、その一本の道がかつてはマツオカ新道などと呼ばれた歴史を見れば、周辺に理解を示すモノ持ちさんの存在がしのばれる。


なぜか五叉路

高木神社祭礼に集う町の役員さん
 東向島の白鬚神社も高木神社も、かなり狭い路地に面している。初夏の祭礼には多くの夜店屋台店が並ぶが、この路地はまさに立錐の余地もない感を呈する。この地域の子どもたちが成長した後には、胸苦しいばかりの望郷の念を示すのではないか。都会にも‘郷愁’は、存在し得る。
 写真は、♪村の鎮守の神様の、今日はめでたいお祭り日…と、思わず口ずさみたくなる風景である。

 ‘郷愁’という尺度では、‘路地’はしゃっちょこ立ちしても‘お祭り’にはかなわない。いかに路地賛美派の人といえども、これに異論はあるまい。しかしながら、楽しい敗北論である。
路地は清潔な空間
 大方の日本人の持つ‘路地のイメージ’は、ゴミゴミとした不潔感であるらしい。
 だが、日本全国の路地は、全て清潔である。向島も例外ではない。お叱りを覚悟で言うなら、いわゆるお屋敷町の道の方が、いつも汚い。住人さんたちは、自家の塀の中しか掃除しないのだそうだ。外の道は、風が掃く、などと囁(うそぶ)く人さえいる。
 わが下町の小さな道を挟んで並ぶ家々は、家の前だけの幅を、道の半分から手前だけ掃除するなどというバカげた、しみったれたことはしない。自家の軒下からお向いさんの軒下まで、しかも両隣(りょうどなり)の分まで箒目(ほうきめ)を届かせる。加えて、全ての家が朝夕2回は掃除する。従って、単純に計算しても全ての路地は、日に6回掃除される。
 都会は、大勢の人間が寄り添って生きる町である。そこに、野良道やけもの道を歩くのとは異なったモラルが生まれるのは、当然である。
 スカイツリーの完成を目前に今、墨田区は、「おもてなしの心で、遠来のお客さんを迎えよう」とのキャンペーンをはっている。しかし、役所主導のキャンペーンのずっと昔から、路地の町は、‘おもてなしの心’を受け伝えている。

まさにチリ一つない路地
 
 
著者略歴

1941年、中国浙江省杭州市
1947年〜 向島在住
1968年〜 小・中学生を対象とした学習塾を経営

1969年〜 向島五丁目東町界 庶務等歴任(現在参与)
1986年〜 一寺言問を防災のまちにする会会員(現在理事)
2001年〜 NPO法人向島学会会員(現在理事)
2006年  墨田区まちづくり条例検討委員
2009年 墨田区協治(ガバナンス)条例検討委員
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