京島には元気な商店街 |
向島地区の路地尊に倣って、北部の京島地区(きょうじま)には「一休さん」がある。仕組みは路地尊と同じだが、周囲に設置されたポケットパークが、向島のものよりやや大きいという点が特徴である。 この京島には小ぎれいな商店街がある。マスコミにもしばしば登場する「キラキラ橘(たちばな)商店会」と言う。ご覧のとおり、かなり狭隘な道を挟んで80店舗ほどが並んでいる。残念ながらシャッターが閉まったままの店もある。
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キラキラ橘商店街の朝 |
‘1店1品’のスローガンの下に、お勧め商品の開発が展開されている。役員さん方の若干の厳しい審査を経て、‘キラキラ’の名を付ける特権が与えられる。
多くの商店街は、いわゆる‘路地’を立地としている。買い物時間の歩行者天国(ホコテン)化、周囲の清掃、道路使用のルール作り、お休み処作りなど、数々の知恵の発揮が、買い物客の信頼やお買い得感を生み出している。
路地の商店会は、健気な(?)努力を続ける。それが、顧客との連帯感を生んでいる。
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謎の五叉路 |
向島五丁目に‘謎の五叉路(ごさろ)’がある。六叉路なら、それなりに幾何学的な合理性を持つが、五叉は謎である。むろんどの角(かど)も90度にはなっていない。農道やどぶ川の埋め立てを進める段階で、ここからあっちの道がつながればちょっと便利だ、などの理由で、無造作に細い道を付け、それなりの便利さで定着したものと思われる。今は誰もその名を口にしないが、その一本の道がかつてはマツオカ新道などと呼ばれた歴史を見れば、周辺に理解を示すモノ持ちさんの存在がしのばれる。
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なぜか五叉路 |
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高木神社祭礼に集う町の役員さん |
東向島の白鬚神社も高木神社も、かなり狭い路地に面している。初夏の祭礼には多くの夜店屋台店が並ぶが、この路地はまさに立錐の余地もない感を呈する。この地域の子どもたちが成長した後には、胸苦しいばかりの望郷の念を示すのではないか。都会にも‘郷愁’は、存在し得る。
写真は、♪村の鎮守の神様の、今日はめでたいお祭り日…と、思わず口ずさみたくなる風景である。
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‘郷愁’という尺度では、‘路地’はしゃっちょこ立ちしても‘お祭り’にはかなわない。いかに路地賛美派の人といえども、これに異論はあるまい。しかしながら、楽しい敗北論である。
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路地は清潔な空間 |
大方の日本人の持つ‘路地のイメージ’は、ゴミゴミとした不潔感であるらしい。
だが、日本全国の路地は、全て清潔である。向島も例外ではない。お叱りを覚悟で言うなら、いわゆるお屋敷町の道の方が、いつも汚い。住人さんたちは、自家の塀の中しか掃除しないのだそうだ。外の道は、風が掃く、などと囁(うそぶ)く人さえいる。
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わが下町の小さな道を挟んで並ぶ家々は、家の前だけの幅を、道の半分から手前だけ掃除するなどというバカげた、しみったれたことはしない。自家の軒下からお向いさんの軒下まで、しかも両隣(りょうどなり)の分まで箒目(ほうきめ)を届かせる。加えて、全ての家が朝夕2回は掃除する。従って、単純に計算しても全ての路地は、日に6回掃除される。
都会は、大勢の人間が寄り添って生きる町である。そこに、野良道やけもの道を歩くのとは異なったモラルが生まれるのは、当然である。
スカイツリーの完成を目前に今、墨田区は、「おもてなしの心で、遠来のお客さんを迎えよう」とのキャンペーンをはっている。しかし、役所主導のキャンペーンのずっと昔から、路地の町は、‘おもてなしの心’を受け伝えている。
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まさにチリ一つない路地 |
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