粋な気分の熱海湯階段の路地 |
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坂の途中にある<青柳すし>の脇に入ると、小さなお稲荷さんがある。その隣が東京神楽坂組合のいわゆる見番で、その前のフランス料理店を左に道なりに行くと雰囲気のある石段が連なり、高低差のはっきりした階段の路地になっている。近くの銭湯<熱海湯>の名をかりて、適当に熱海湯階段と呼ぶむきもある。
日本建築の料理屋<鳥茶屋別亭>ができて以来、その向かいには小粒ながらフランス風の瀟洒な雑貨店ができたりして、通る人の関心を呼んでいる。フランスといえば、この地はフランス料理店の数が圧倒的に多い。神楽坂の路地の粋とフランスの路地のシックが、微妙に重なりあうのであろうか。
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前回登場した作家野口富士男によれば「そのへんが毘沙門さまをもつ神楽坂に対して金比羅さまをもつ虎ノ門あたりとの相違で、小なりといえども花は花といったところが、現在の神楽坂だといえるのではないだろうか。開けっぴろげな原宿の若々しい明るさに対して、どこか古風なうるおいとかすかな陰影を(神楽坂は)ただよわせている」という30数年前の文章が、いまだに通用するところがこの地の特長だ。
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文人墨客に愛された毘沙門横丁 |
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神楽坂といって忘れてならないのが毘沙門天善国寺だ。徳川家康によって建立され水戸光圀が麹町に再建して以来、徳川家の祈願所となり親しまれた。幕府の安泰を祈念したお守りの毘沙門さまが、商売繁盛の神としても人気を呼び、「江戸七福神」の一つとして栄えた。火災によって1792年に神楽坂に、その人気とともに移転してきたものだ。
明治20年に東京で初めて夜店が立ち、以来昭和初期まで東京の夜のそぞろ歩きの足を集めたので、多くの文人墨客に愛され、花街通いを誘ったようだ。
毘沙門天と三菱東京UFJの間にある毘沙門横丁(現在はこの名はほとんど使われていないが、往時の文芸書にはよく出ているのであえて使用する)の細い脇路地には、ミシュランガイド東京で3つ星の黒築地<石かわ>などの料理屋、飲み屋、スナックなどが集まり、行き止まりになっているが、夜になるとどことなく人を誘う風情がただよってくる。
永井荷風の「夏姿」の主人公慶三が下谷のお化横丁の芸者千代香を落籍して1戸を構えさせたのは、このあたりの横丁に違いない。
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清潔さとさっぱりとした風情を保つ生活路地 |
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神楽坂坂下の1〜5丁目のかつての花街の路地をみてきたが、名誉のために是非つけ加えなければならないことがある。主として坂上の6丁目や横寺町は、昔から生活のまちと言われてきたが、そこに点在する多くの生活路地も、しつらえの路地に負けない清潔さとさっぱりとした風情を持っていることだ。
もともと日本人が身のまわりをつつましくきれいにして過ごす気風は、日本のあらゆるところで見受けられるところだが、この地の生活路地には、やはり花柳界のある花街の影響が及んでいるといわざるを得ない。今すっかり捨ててしまった、江戸の粋な所作を引き継いでいるのが花柳界であれば、そのエキスである『粋』という「心意気」や「いきな気分」が路地という毛細血管をへて横丁から本通りに流れこみ、周辺住民の心にまで達しているというべきなのであろう。
その結果、住民の気風もまちの建物も横丁も路地も、そこはかとなくあか抜けした清潔さといさぎよさを保っているのだ、ということなのだろう。
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