表記 |
音 |
地域 |
意味・由来・出典等 |
路地・
露地 |
ろじ |
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広辞苑 |
1) |
【露地】屋根などのおおいがなく、露出した地面。煩悩を離れた境地。法華経の火宅喩に基づく。 |
2) |
草庵式の茶室の庭園。石灯籠・蹲踞・飛び石などを配する。外路地・内露地に区分。 |
3) |
門内または庭上の通路。 |
4) |
人家の間の狭い通路 |
大辞林 |
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家と家との間の狭い通路。 |
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ろうじ
ろおじ |
関西 |
ろず |
東北 |
露地 |
ろじ |
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広辞苑:上記「路地」参照 |
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大辞林 |
1) |
屋根などのおおいのない地面。 |
2) |
門内・庭内などの細い道。 |
3) |
茶室に付属した庭。待合・腰掛け・蹲踞(つくばい)・雪隠(せつちん)などを設ける。露地庭。茶庭。〔「路地」とも書く〕 |
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ろうじ
ろおじ |
関西 |
ろず |
東北 |
横町 |
よこちょう |
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広辞苑 |
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表通りから横へ入った町筋。よこまち。 |
大辞林 |
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表通りから横に入った細い道。よこまち。 |
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横丁 |
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横町と
横丁 |
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Yahoo知恵袋の回答:bengara39 |
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横丁(横町とも書きます)とは、表通りから横へ入った町筋。また、その通りという意味です。
もっと詳しく言うと江戸時代の町割にあるみたいですね。江戸の町割は、京間60間(118m)を一辺とする正方形の地面が基本で、四辺の道路から20間を町地としました。すると中央に20間四方の空閑地(くがち)が出来る。これを会所地といいました。芥所地(ゴミ捨て場)が訛ったものと考えられています。この会所地はゴミ捨て場、悪水溜め、火除地や拝領地などに利用されました。
ただ江戸の人口が増加するにつれて、悠長に遊休地を置いておくわけにもいかなくなり、町入用や公役銀などの公租公課を工面するため、会所地を地主たちが相談して有効利用するようになり私道を敷設し、それを新道(しんみち・じんみち)といい、この新道が幕府の公認を受けると「横町」と呼ばれました。
それでそこに飲食街が出来ると「食傷新道」と呼ばれ、屋根屋の職人たちが集住すると「屋根屋新道」と呼びました。新道が横町であれば「食傷横町」「屋根屋横町」という訳です。
横町と横丁の違いは、横町の方が町裏への通路で「木戸がある」のに対して、横丁は俗称で、普遍的通り道(一般道)で木戸はありません。同じ脇道ですが、横町が公用語であることで、横丁は町の字を遠慮して丁の字を用いたのでしょう。
丁の字義には「出会う。行き交う」の意があります。
新道・横町の管理人が大家で、大抵が隠居仕事だったので「横町のご隠居さん」という言葉が生まれました。「横丁のご隠居さん」はいません。しかし、現在では「横丁」と「横町」は同じ意味で使われています。 |
「荒川区の地名の由来」ホームページ |
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横丁は、ほぼそこにしかいけない道、そこへ至る道のことをいい、木戸がない。一般道。丁には「行き会う、行き交う」の意がある。
横町の方は、地主が拵えた新道の内、幕府に公認されたものをいう公用語で、横丁と横町は似て非なる全く別のもの。 |
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江戸の大通り、横丁、新道、路地 |
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「落語で読み解く「お江戸」の事情」142~143頁
(中込重明監修、青春出版社発行) |
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江戸の町には、大別して、大通り、横丁、新道(しんみち)、路地があった。
大通りとは、文字通りのメインストリートで、五間から一〇間 (約九~一八メートル)ほどの幅があり、その両側を大店が軒を連ねていた。その代表が、日本橋から京橋にかけての大通りである。一二間(約二二メートル)の広さを誇り、往来はいつも人々で賑わっていた。こうした風景は、歌川広重(うたがわひろしげ)~ほか、多くの浮世絵師たちによって措かれている。
また、大通りに住むと、「地主の三厄」1といって、消防、水道、祭礼の経費などの負担義務が生じた。これを支払うために、余裕のあるれっきとした商家でない限り、大通りに店を構えることはできなかった。
そして横丁は、大通りと大通りの間に通る道で、道幅はだいたい三間前後(五・四メートル)。言うなれば、幕府公認の中通りといったところだ。そして横丁から小枝のように出ていたのが三、四尺程度 (約一メートル) の細い路地だ。そして、その周りに裏長屋が建てられていたのである。
一方新道は、地主たちが相談の上、自分たちで通した私道だった。比較的狭い道だったが、新道を作ればその土地に商店が集まってきたので、地代も上がり地主らには都合が良かった。というわけで、こちらは幕府公認の道路ではなかった。
こうした横丁や新道には、湯屋や床屋の他、そば屋や寿司屋などの飲食店などが並んでいた。というのも、当時、火を使う商売は大通りに店を出せなかったからだ。また、横丁や新道であれば、公租の負担義務もなかったので、中小の商家が店を出すには好都合であった。
以上の通り、路地に面した裏長屋に住む人々に比べると、横丁に住んでいたのは少し余裕がある中産階級が中心だった。 |
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<江戸の街の道路>
大通り、横丁、新道、路地の区別の一例。大通り沿いには大店、横丁沿いには小さな商いの店などが建ち並んでいた。 |
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小路 |
こうじ
こおじ |
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広辞苑 |
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(コミチの音便)幅の狭い路。しょうじ。 |
大辞林 |
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〔「こみち」の転か〕小さい道。大通りから入りこんだ幅の狭い道。こみち。 |
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こじ |
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こみち |
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しょうな |
東海地方
新居町 |
広辞苑 |
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(東海地方で)田畑・人家の間の小径。または往還から屋敷までの路。 |
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しょうし |
堅田(大津市) |
【路地からのまちづくり】第1部4 |
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【中世後期】人の名前として「しゃうし与三郎・孫九郎(小路)」。 |
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しょうじ |
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尾道 |
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岡山県
高梁市 |
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その他 |
富山県南砺市城端、山口県下関市長府、山口県柳井市、静岡県磐田市、和歌山県湯浅、大阪市 |
博多 |
石田三成が博多奉行として、博多商人の宗湛や嶋井宗室にも協力をさせ復興に取り掛かった。入り江や湿地を埋め立て、息浜と博多浜を一つの町とし、最初の縄張りを行った南北の街路を「一小路(市小路)」とし、町を袈裟の七条になぞらえて七小路(七筋)七堂七厨子七口七観音とし、七小路に面する町々を「流」(ながれ)という単位に集合させた。この復興事業は「太閤町割り」と呼ばれる。
※路地ではない(http://ja.wikipedia.org/wiki/博多) |
小径
小逕 |
しょうけい |
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広辞苑 |
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こみち・ほそみち。 |
大辞林 |
1) |
小さなみち。こみち。 |
2) |
小さな直径や半径。 |
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こみち |
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小径 |
こみち |
京都 |
【路地からのまちづくり】第1部4
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【平安京】方40丈(120m)の街区を、道幅1.5丈(4.5m)または1丈(3m:市人の町)で南北方向に通した通路。 |
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小道 |
こみち |
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広辞苑 |
1) |
幅の狭いみち。こうじ。 |
2) |
わき道。横道。 |
3) |
六町を一里とする里程。 |
大辞林 |
1) |
狭い道。細い道。 |
2) |
わき道。枝道。 |
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途子
図子 |
ずし |
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広辞苑 |
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よこちょう。路地。 |
大辞林 |
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大路と大路を結ぶ小路、または辻。 |
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辻子
逗子
図子 |
づし・ずし |
京都 |
【路地からのまちづくり】第1部4 |
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【中世京都】裏宅地活用のため、地主・領主によって通された路地。 |
京都観光文化情報システム |
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辻子、逗子とも書き、通り抜けのできる町の道。平安京でも条坊とは別にみられ、鎌倉期にも設けられた。京都市中の商業発達により通路となる図子はふえその小路を基盤とする「図子町」が生まれた。 |
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辻子 |
つし |
堅田(大津市) |
【路地からのまちづくり】第1部4 |
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中世後期】人の名前として「つし孫五郎(辻子)」「かちやつし西切三郎治郎(鍛冶屋辻子)」。 |
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小辻子 |
こづし |
堅田(大津市) |
【路地からのまちづくり】第1部4 |
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【中世】内陸部の幹線道路から、舟入に向かって通された路地。 |
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辻 |
つじ |
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広辞苑 |
1) |
道路が十字に交叉している所。四辻。「つむじ」とも。 |
2) |
みちばた。みちすじ。ちまた。 |
3) |
縦横筋違いの筋をうちちがえた染模様。 |
4) |
つじぶさ(辻総)の略。 |
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世古 |
せこ |
三重・
伊勢 |
【路地からのまちづくり】第1部4 |
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【戦国期以降】街道から離れて居住した神官や御師の屋敷群をネットワーク。 |
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谷
迫 |
せこ |
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広辞苑 |
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(「狭所(せこ)」の意という)山と山の間で、谷のせばまった所。さこ。 |
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さこ |
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広辞苑 |
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(関西・九州地方で)谷の行きづまり、または谷。せこ。 |
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すきや通道 |
すきやどおりみち |
京都
堺 |
【路地からのまちづくり】第1部4 |
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【戦国期】都市的コミュニケーションの手段として「数寄」を行う、私的な質の高い路地。 |
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突抜 |
つきぬけ |
京都 |
【路地からのまちづくり】第1部4 |
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【近世】正方形街区を南北方向に通って街区を2分する道路。 |
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突抜け |
つきぬけ |
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広辞苑 |
1) |
つきとおること。 |
2) |
まっすぐに通りぬけられること。 |
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突抜け裏 |
つきぬけうら |
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新道 |
しんみち |
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【路地からのまちづくり】第1部4 |
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借地・借家の通路となる私的性格の強い路地が公共性を獲得したもの。(日本橋河岸) |
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新道
新路 |
しんみち |
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広辞苑 |
1) |
新しくつくった道。新開の道路。 |
2) |
町屋の間の狭い道。小路。 |
大辞林 |
1) |
新しく開かれた道。しんどう。 |
2) |
町家の間の細い道。小路。 |
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たつみち |
上吉田(富士吉田)、川口(富士河口湖) |
【路地からのまちづくり】第1部4 |
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街道から離れて居住した御師(おし)の屋敷への通路。 |
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せど |
大分
佐賀関 |
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伊豆市
天城地方 |
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広島県神石 |
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山陰地方 |
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背戸 |
せど |
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広辞苑 |
1) |
裏の入口。うらぐち。うらもん。 |
2) |
家のうしろ。 |
大辞林 |
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家の裏口。また、裏手。 |
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背戸口 |
せどぐち |
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背戸屋 |
せどや |
熊本 |
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背戸家 |
せどや |
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広辞苑 |
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他の家の裏に建ててある家。 |
大辞林 |
|
他の家の裏に建ててある家。 |
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瀬戸 |
せと |
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広辞苑 |
1) |
幅の狭い海峡。潮汐の干満によって激しい潮流を生ずる。 |
2) |
瀬戸際の略。 |
大辞林:〔「狭(せ)門(と)」の意〕 |
1) |
相対する陸地が接近して、海が狭くなっている所。狭い海峡。 |
2) |
「瀬戸際(せとぎわ)」の略。 |
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せと |
茨城県 |
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せどみぢ |
茨城県 |
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背戸道 |
せどみち |
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狭路 |
せばじ |
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ひやさい
ひやせえ |
岡山倉敷 |
「倉敷百景」ホームページほか |
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旧市街地の路地。隣家の樋(とい)(ひ)が合わさるほど密接した様子。差し込む日の光が浅い様子から。 |
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ひあい(ひえい) |
静岡県下田市 |
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裏界線 |
りかいせん |
長野県飯田市 |
「飯田市の都市景観構造」ホームページほか |
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街区中央部の背割り線。飯田の大火後に火事の際の避難経路として整備。 |
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(筋) |
すーじー |
沖縄 |
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(筋小) |
すーじぐゎー |
沖縄 |
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あぅえーこ |
岩手宮古 |
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アミ道 |
あみみち |
淡路島 |
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間 |
あわえ
あわい
(あわせ) |
徳島県南部 |
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番外編 |
狭隘道路 |
きょうあいどうろ |
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ヴィーコロ |
う゛ぃーころ |
イタリアコルトナ |
【路地からのまちづくり】第1部4 |
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東西のメインストリートから、上の通りと下の通りを結ぶ路地。 |
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SOI |
そい |
タイ |
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胡同 |
ふーとん |
北京 |
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北京市の旧城内を中心に点在する細い路地。衚衕とも。 |
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an alley
an alleyway
a lane |
アレイ
アレイウェイ
レーン |
英語 |
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passages |
パサージュ
パッサージュ |
フランス語
パリ |
ウィキペディア |
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「通過」や「小径」などの意を表すフランス語。
狭義には、19世紀以降のパリに現れた、ガラスのアーケードのついた歩行者専用の商店街のことを指す。 |
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