緊急事態宣言: 協賛プロジェクト
「都内で登山」
コロナだ、オリンピックに熱中症、おまけに台風
それでもめげず都内で登山
33:箱根山 |
※このコラムにおいて「都内」とは、概ね23区の範囲を言います。 |
2021年夏 今井晴彦 |
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築造年:1688〜1703 の間 所在地:新宿区戸山2 丁目
標高:44.6m |
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なんといっても都内での最高点となっている山である。また近くの国立国際医療センターや女子医大など大久保通り近辺から市ヶ谷自衛隊にかけてひろがる台地の標高は40m前後と、台地の中で最も高い。なので、箱根山へ大久保通りからアプローチするとさほど高いという印象はない。しかし都営団地、戸山公園の広くひろがる窪地からはどうどうたる山で、急いで登と多少息切れするほどである。
江戸時代は尾張藩の下屋敷で、2 代藩主光友が44.9ha もの広大な土地を拝領し、回遊式庭園「戸山荘」をその広い敷地一杯に整備した。ただ完成したのは4 代の吉通の代である。尾張から江戸へ参勤交代で東海道を下ってくるが、大名は一般人のように宿場をうろつくこともできず、駕籠に閉じ込められるようにして旅をすることになる。ということで、尾張藩主は庶民のように宿場をうろつきたいと強く憧れたようだ。そこで相模湾に見立てて池を掘り、その土をもって山を築く。140mほどの道に36 軒の御町屋を並べ小田原宿として女中に茶などを出させ、念願の宿場歩きを楽しんだのである。ただその当時の山の名前は玉円峰或いは丸呂ケ嶽という名で、庭園の築山である。
明治になり、陸軍戸山学校用地となり、そのころから箱根山と称されるようになった。私の子供の頃はまだ、ボルダリングのようによじ登る城壁などがあった。戦後東京都はここを動物園にしようとしたところ、進駐軍から国民が住宅難で苦しんでいる時にいかなることかと叱責され、都営団地と都立戸山公園になったものである。池はとっくに埋め立てられてしまっていたが、箱根山は戸山公園の一部として残った。
(なお尾張藩の上屋敷は今の市ヶ谷自衛隊本部であり、ここも箱根山を除けば都内で最も高い台地である。尾張藩は高いところがお好きということでもないので、単なる偶然。)
箱根山は、登山すると登山証明書が東京都公園協会からもらえる。こういう山は他に無く、まあ都内のエベレストみたいなものかもしれない。
桜の名所にもなっているが、4 月にはつつじ祭りが開催されるようになった。山腹につつじがあちこち植樹されている。ちなみに江戸時代はつつじで大久保は有名であった。
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箱根山登山口 |
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復元江戸情報地図(朝日新聞社) |
戸山荘の絵図(最大の大名庭園) |
頂上 |
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遠く新宿を望む |
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Google |
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つづく |
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著者略歴
今井晴彦(株式会社サンプランナーズ代表取締役)
東京大学都市工学科卒。
都市計画コンサルタント会社を設立し、国内外の地域振興、都市計画、観光計画、まちづくり等を行っている。(株)アルメック技術顧問、諏訪市政策アドバイザー(非常勤)、全国路地のまち連絡協議会世話人、地域振興アドバイザー(国土交通省)などを務める
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