愛宕山 所在地:港区愛宕1−5−3 標高:25.7m |
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愛宕山といえば曲垣平九郎、寛永三馬術と、講談でお馴染みの話がまず浮かぶ。2 代将軍秀忠の法事の帰り(芝増上寺はすぐ近く)、3 大将軍家光が、「愛宕山の上にある梅の枝をだれか馬でとってくるものはいるか」と言ったところ、急な石段にもかかわらず丸亀藩の曲垣平九郎がこれを見事になしとげ、馬術の名人として全国に名を轟かせることにった(寛永11
年、1624 年2 月25 日)。
愛宕山に行くとまず目に入るのが、この石段で、頂上まで86 段、極めて急な石段で、よくぞ登れたと感心する。その後、この石段は出世の石段と呼ばれるようになり、今も石段の下に出世階段という表示が出ている。その後現在まで、これを馬で登れた人は外に3
人いるそうで、1882 年に仙台藩の馬術指南役であった石川清馬、1925 年に参謀本部馬丁の岩木利夫、1982 年にスタントマンの渡辺隆馬が日本テレビの番組で成功させた。どういうわけか、この3
人は全て馬の字が名前に入っている。登りは比較的早いが、やはり下りは相当時間がかかっている。失敗すると悲惨なことになりそうだ。
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出世階段 |
さて愛宕山は都内の自然地形の山としては最高峰で、25.7mの標高があり、しかも唯一の三角点がある。この三角点、山頂で探してみると、三角点とかかれた小さな石碑が、つい見過ごされてしまうほどに、目立たずひっそりと立っている。飛鳥山の公共基準点とは大違いであった。
ほとんどの山が台地の端で、台地からみると山と認識できないようなものが多いなかで、独立した塊になっていて、目立った存在であったと思われる。
愛宕山は、その山頂に建てられた愛宕神社によるものだが、神社は1603年、江戸の防火のために家康によって建立されたと伝わる。なお愛宕神社は全国各地に分布するが、本山は京都市右京区、亀岡市にまたがる標高924mの山にある。京都市街地からは比叡山と並ん目立つ山であるので、もしかしたら、東叡山を意識して愛宕山としたのかと思ったのだが、そういう話はどこにも書かれていない。なお愛宕神社は創建1603年である。
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愛宕山には神社だけでなく、NHK放送博物館が山頂に立っている。日本のラジオの本放送は、この愛宕山から始まっている。大正14 年(1925 年)に、東京放送局(JOAK)が本放送を始めたのである。翌年には、日本放送協会が設立され、昭和13 年(1938 年)までここからラジオ放送が行われたのである。すなわちNHK発祥の地でもあり、昭和31年にNHK放送博物館ができた次第なのである。
少し前までは、愛宕山は東京タワーやスカイツリーの役割を担っていたともいえる。
幕末に愛宕山山頂から取られた写真を見ると、遠くまで家々の屋根が見え、さえぎる物は何もない状態である。高層ビルなどない時代であったから当然で、逆には人々が高いところから町を見るとなると、愛宕山ということになっていたことがわかる。
広重の版画が愛宕山の高さを際立たせていることもうなずける。しかし、現在は超高層ビルがすっかりまわりを取り囲み、見晴らしどころか、ビルの谷間になってしまったのは、いささか残念である。
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愛宕山からの江戸の景色
フェリック・ベアド撮影 1864 年以前
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愛宕山はさらに都内で一か所というものがある。愛宕山トンネルである。昭和5年(1930 年)に、西新橋3丁目方面と虎ノ門3丁目方面との交通を円滑にするため建設された。都内で山を穿って建設されたトンネルはこの愛宕山トンネルだけである。
山頂には、かなり広い池が設けられ、神社と一体となった庭園となっているが、桜の季節も見事で、昔山頂にある茶屋でお花見を楽しんだことがある。山としては小さいが、実に様々なものがつまった山と言えよう。
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愛宕山 広重画 |
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つづく |
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